「ハローキティ・ストア」イスラエル進出の背景を考える(3)

パレスチナの平和を考える会のニュースレター『ミフターフ』30号(2011年8月発行)に掲載された記事(著者・役重善洋)を転載します。一部、修正・追加をしています。(→連載第1回

イスラエルにおけるネオリベラリズムとウルトラ・ナショナリズム


しかし、このような暴力的・抑圧的なアパルトヘイト国家に、「ブランド・イメージ」が勝負のサンリオがあえて進出したのはなぜだろうか? サンリオ幹部が、「ストップ無印良品キャンペーン」の経緯を知らなかったはずはない。これを理解するには、もう一つのイスラエルの「顔」がどれだけよく日本社会(特に経済界)に浸透しているかを、よく認識する必要がある。それは、「IT大国」「ユダヤ資本に支えられた国」といった経済強国イスラエルのイメージである。

無印良品が2010年4月にイスラエル出店を発表したときの理由は、「イスラエルは・・・ハイテク、再生可能エネルギー、化学・医薬品産業での成長が著しい国です。・・・2008年秋以降の世界経済不況の影響下でもわずかながら成長しており、2010年は復調の兆しが見えることからも出店の価値は十分あると判断」とされている。

同様に、サンリオのヨーロッパ支社の社長であるロベルト・ランチ氏と、創業者・現社長である辻信太郎氏の息子で現副社長の辻邦彦氏は、出店に向けた現地視察の際、「イスラエルは、国際的な金融危機リーマン・ショック)をうまく生き抜いた数少ない国の一つです」「小国という限界をもちながらも、イスラエル市場は大きな潜在力を持っています」と述べており、上述のイメージの浸透力の強さを物語っている。

しかし、事はそう単純ではない。イスラエルが世界市場に積極的に参入するようになったのは、せいぜい1980年代半ば以降、とりわけ、ネオリベラリズム路線を明確に打ち出した現イスラエル首相ネタニヤフが、最初の首相を務めた1990年代後半のことである。80年代半ばに深刻な経済危機に直面するまでのイスラエルの経済政策は、基本的に「大きな政府」路線であり、その背景には、労資協調・軍事優先路線の下、パレスチナ人排除・民族国家建設に邁進してきた労働党のイニシアチブがあった。この社会主義シオニズムにおける民族排外主義を維持・強化しつつ、市場原理主義への経済政策転換を強力に推し進めたのが、アメリカで高等教育(MITスローン経営大学院卒業)を受けたリクード党首ネタニヤフであった。

ネタニヤフは、一方で、国内外の宗教右派勢力(国内のユダヤ教原理主義アメリカのキリスト教シオニストなど)の支援を梃子として入植地拡大などの対パレスチナ強硬路線を推し進め、他方で、国有企業の民営化や外資導入など、イスラエル経済の自由化を積極的に進めた。イスラエル建国50周年となる1998年、ネタニヤフ首相が、ネスレやダノン、モトローラといった名だたる多国籍企業に対し、イスラエルへの経済的貢献を讃える「ジュビリー賞」を授与したのも、このようなネオリベラル政策の一環であった。

90年代後半以降、イスラエルは、国内外の宗教右翼と経済エリートという、反左翼を共通項としつつも、階級的にもイデオロギー的にも決して一枚岩とはいえない勢力の連携を通じて、冷戦後の世界秩序のなかでのイスラエルの生き残り戦略を模索したのだといえる。そして、その戦略は、9・11以降のアメリカを中心とする「国際社会」の「反テロ」を基調とした中東政策と見事なまでに合致・一体化することとなった。つまり、90年代後半から見られたイスラエルにおけるネオリベラリズムとウルトラ・ナショナリズムの連携という状況は、9・11以降の「国際社会」の姿を先取りしたものであったということもできるのである。

しかし、そのつけは、現在、パレスチナ問題の行き詰まりと深く絡み合った、イスラエル経済の危機というかたちで噴出しつつある。以下、サンリオのイスラエル進出が、倫理的な問題にとどまらず、イスラエルの経済状況の認識という戦略的観点においても、いかに拙速なものであったかについて明らかにし、「バイバイ・キティ・キャンペーン」を始めとした、日本におけるパレスチナ連帯運動の課題について整理してみたい。