ハローキティ、パレスチナ人追放を祝う

昨年(2011年)、サンリオは、イスラエルの二つの町(ギヴアタイムとリション・レツィオン)に「ハローキティ・ストア」をオープン。
心あるキティ―・ファンは、キティがアパルトヘイト政策の宣伝に利用されることを懸念し、このことに抗議してきました。
以下は、現地ハローキティ・ストアのフェイスブック上の今年の独立記念日(4月25日)の投稿
コメントは、ヘブライ語で「独立記念日、おめでとう!」

この日、イスラエルNGO「ゾフロット」は、「イスラエル独立」によって故郷を追放された約80万人のパレスチナ人の帰還権をもとめる街頭アピールをしようとしましたが、警察によって阻止され、3名の活動家が逮捕されました。

「ハローキティ・ストア」イスラエル進出の背景を考える(1)

パレスチナの平和を考える会のニュースレター『ミフターフ』30号(2011年8月発行)に掲載された記事(著者・役重善洋)を転載します。一部、修正・追加をしています。

ハローキティイスラエル進出と「反ボイコット法」


ガザ虐殺以降、国際的に急速な広がりを見せている対イスラエルBDS(ボイコット・資本引き揚げ・経済制裁)キャンペーンの一環として、昨年、当会が全力を挙げて取り組んだ「ストップ無印良品キャンペーン」は、約7ヶ月の取り組みの末、イスラエル出店中止という具体的成果を獲得することができた。しかし、今年2月になり、今度はサンリオがイスラエルに「ハローキティ・ストア」を2012年度中に出店するというニュースイスラエル紙「イェディオット・アハロノット」(英語版)によって報じられた。

当時はちょうどアラブ革命に注目が集まり、3・11以降の原発震災もあったため、「ストップ無印」のときのような迅速な動きを取れずにいたところ、6月2日、同じイスラエル紙のヘブライ語版で、なんと同月末までに「ハローキティ・ストア」の出店を計画していることが報じられた

事態の急転に驚いた私達は、サンリオ宛の公開質問書を6月13日に送付し、出店計画の再考を促した。さらに、出店中止を求める声は、イギリスアメリカイスラエル東京の運動団体や活動家からも上げられ、サンリオの軽挙に対する包囲網は国際的に広がるかに見えた。

しかし、サンリオは、私達の公開質問書に対するかたちばかりの回答を6月末日付で送付した後、7月3日、テルアビブ近郊のギヴアタイムに「ハローキティ・ストア」の1号店を出店した。これに対し、私達は「抗議と要請」を7月16日に送付したが、いまだサンリオからの回答はない。

サンリオによるイスラエル出店強行の直後、7月11日には「反ボイコット法」がイスラエル国会で可決し、即日発効した。この法律によれば、イスラエルに対するボイコットを呼びかける個人・団体は損害賠償の対象となり、NGOは、免税措置や助成金の対象から外され、企業は公的事業から排除されることとなる。

サンリオのイスラエル出店に反対を表明したイスラエルのグループ「Boycott from Within」は、ただちに抗議声明を発表し、あらためて、イスラエル公演を予定している海外アーティストへのボイコットの呼びかけを行っている。

この法律のボイコットの定義には、入植地との経済関係を意図的に避けることも含まれている。したがって、サンリオと契約している現地企業を含め、あらゆるイスラエル企業は、国家によって国際法違反を奨励されることとなり、潜在的アパルトヘイト企業にならざるを得ないのである。このことは、これまでイスラエル・ボイコットに取り組む運動団体のなかで議論されてきた、入植地ボイコットと全面的ボイコットとの区別を実質的に無意味にするものでもある。

「ハローキティ・ストア」イスラエル進出の背景を考える(2)

パレスチナの平和を考える会のニュースレター『ミフターフ』30号(2011年8月発行)に掲載された記事(著者・役重善洋)を転載します。一部、修正・追加をしています。(→連載第1回

イスラエルによる市民運動攻撃とバイバイ・キティ・キャンペーン


ボイコット運動に対するイスラエルの過剰反応は、国内にとどまらず、海外の運動にもその標的を広げている。今年3月21日のハアレツ紙によれば、イスラエル軍は、海外でイスラエルに対する「正当性剥奪」を目的とする活動をしている団体を監視し、情報収集するための部局を設立したという。イスラエルが、そうした活動を行ってきたことは、すでによく知られていることではあるが、そうした活動の対象が、幅広い市民運動にまで広げられ、強化されていることは、6月末から7月初頭にかけて国際的に取り組まれた「フロティッラⅡ」および「ウェルカム・トゥ・パレスタイン・キャンペーン」が、実に「手際良く」阻止されたことにも現われている。

「フロティッラⅡ」は、世界20カ国から数百人の平和活動家、著名人、ジャーナリストが10隻の船に乗ってガザ入港を目指す予定だった。しかし、出航前の船のスクリューやエンジンが何者かによって破壊されたり、ギリシャからの出航許可が出ないなど、様々な妨害が行われ、結局フランス籍のヨット1隻のみが出航に成功したものの、公海上イスラエル軍によって拿捕されてしまった。

「ウェルカム〜」は、フランスを中心とした世界各国の市民約600名が、7月6日、ベングリオン空港で、訪問先を「パレスチナ」と記して入国し、彼らを招待したパレスチナ市民グループと交流するというプロジェクトだった。しかし、イスラエルが事前にインターネット上などから収集した数百人の参加予定者の情報リストを各航空会社に通知したことで、彼等の多くが、テルアビブ行きの便への搭乗を拒否され、リストから漏れた数十名のほとんどは、ベングリオン空港で拘束され、強制送還された。

欧米を中心とした連帯運動とイスラエルとの攻防が繰り広げられているとき、日本では「ハローキティ・ストア」のイスラエル出店に憤る有志によって、「バイバイ・キティ・キャンペーン」が立ち上げられた。日本におけるBDSキャンペーンに関しては、イスラエル大使館の元広報部職員で現在も大使館と深いつながりを持っていると考えられる人物が、キリスト教シオニスト団体「キリストの幕屋」系の出版社の月刊誌に、パレスチナの平和を考える会が行ってきたキャンペーンについて詳しく紹介し、「まるで、中世のヨーロッパ」だと、反シオニズム反ユダヤ主義に読み替える古典的レトリックを用いて糾弾している(滝川義人「ボイコットは繰り返す」『みるとす』111号, 2010.8.)。原発震災が深刻な状況を脱していない現在、「バイバイ・キティ・キャンペーン」は、まだ大きな波及力を獲得できているとはいえないが、それでもイスラエルの監視対象とされていることは間違いない。

「ハローキティ・ストア」イスラエル進出の背景を考える(3)

パレスチナの平和を考える会のニュースレター『ミフターフ』30号(2011年8月発行)に掲載された記事(著者・役重善洋)を転載します。一部、修正・追加をしています。(→連載第1回

イスラエルにおけるネオリベラリズムとウルトラ・ナショナリズム


しかし、このような暴力的・抑圧的なアパルトヘイト国家に、「ブランド・イメージ」が勝負のサンリオがあえて進出したのはなぜだろうか? サンリオ幹部が、「ストップ無印良品キャンペーン」の経緯を知らなかったはずはない。これを理解するには、もう一つのイスラエルの「顔」がどれだけよく日本社会(特に経済界)に浸透しているかを、よく認識する必要がある。それは、「IT大国」「ユダヤ資本に支えられた国」といった経済強国イスラエルのイメージである。

無印良品が2010年4月にイスラエル出店を発表したときの理由は、「イスラエルは・・・ハイテク、再生可能エネルギー、化学・医薬品産業での成長が著しい国です。・・・2008年秋以降の世界経済不況の影響下でもわずかながら成長しており、2010年は復調の兆しが見えることからも出店の価値は十分あると判断」とされている。

同様に、サンリオのヨーロッパ支社の社長であるロベルト・ランチ氏と、創業者・現社長である辻信太郎氏の息子で現副社長の辻邦彦氏は、出店に向けた現地視察の際、「イスラエルは、国際的な金融危機リーマン・ショック)をうまく生き抜いた数少ない国の一つです」「小国という限界をもちながらも、イスラエル市場は大きな潜在力を持っています」と述べており、上述のイメージの浸透力の強さを物語っている。

しかし、事はそう単純ではない。イスラエルが世界市場に積極的に参入するようになったのは、せいぜい1980年代半ば以降、とりわけ、ネオリベラリズム路線を明確に打ち出した現イスラエル首相ネタニヤフが、最初の首相を務めた1990年代後半のことである。80年代半ばに深刻な経済危機に直面するまでのイスラエルの経済政策は、基本的に「大きな政府」路線であり、その背景には、労資協調・軍事優先路線の下、パレスチナ人排除・民族国家建設に邁進してきた労働党のイニシアチブがあった。この社会主義シオニズムにおける民族排外主義を維持・強化しつつ、市場原理主義への経済政策転換を強力に推し進めたのが、アメリカで高等教育(MITスローン経営大学院卒業)を受けたリクード党首ネタニヤフであった。

ネタニヤフは、一方で、国内外の宗教右派勢力(国内のユダヤ教原理主義アメリカのキリスト教シオニストなど)の支援を梃子として入植地拡大などの対パレスチナ強硬路線を推し進め、他方で、国有企業の民営化や外資導入など、イスラエル経済の自由化を積極的に進めた。イスラエル建国50周年となる1998年、ネタニヤフ首相が、ネスレやダノン、モトローラといった名だたる多国籍企業に対し、イスラエルへの経済的貢献を讃える「ジュビリー賞」を授与したのも、このようなネオリベラル政策の一環であった。

90年代後半以降、イスラエルは、国内外の宗教右翼と経済エリートという、反左翼を共通項としつつも、階級的にもイデオロギー的にも決して一枚岩とはいえない勢力の連携を通じて、冷戦後の世界秩序のなかでのイスラエルの生き残り戦略を模索したのだといえる。そして、その戦略は、9・11以降のアメリカを中心とする「国際社会」の「反テロ」を基調とした中東政策と見事なまでに合致・一体化することとなった。つまり、90年代後半から見られたイスラエルにおけるネオリベラリズムとウルトラ・ナショナリズムの連携という状況は、9・11以降の「国際社会」の姿を先取りしたものであったということもできるのである。

しかし、そのつけは、現在、パレスチナ問題の行き詰まりと深く絡み合った、イスラエル経済の危機というかたちで噴出しつつある。以下、サンリオのイスラエル進出が、倫理的な問題にとどまらず、イスラエルの経済状況の認識という戦略的観点においても、いかに拙速なものであったかについて明らかにし、「バイバイ・キティ・キャンペーン」を始めとした、日本におけるパレスチナ連帯運動の課題について整理してみたい。

「ハローキティ・ストア」イスラエル進出の背景を考える(4)

パレスチナの平和を考える会のニュースレター『ミフターフ』30号(2011年8月発行)に掲載された記事(著者・役重善洋)を転載します。一部、修正・追加をしています。(→連載第1回

イスラエル経済のグローバル化とBDSキャンペーンの拡大



多国籍企業イスラエル進出と並び、ネオリベ路線のもう一つの「落とし子」は、イスラエル企業の寡占化と海外進出である。1980年代から進められていた国有企業の民営化・リストラは、少数財閥への資本の集中をもたらし、これらの巨大企業グループが海外投資を盛んに行うようになった。

このようなイスラエル経済の状況は、占領構造そのものの、一部の特権層による民営化とグローバル化をもたらしつつある。このことによって、イスラエルアパルトヘイト体制は、国際的なBDSキャンペーンに対し、より脆弱な性格を帯びるようになったといえる。

たとえば、イスラエル財閥の一つレヴ・レヴィエヴ・グループの傘下企業で、入植地の建設や開発事業を多く手がけていたアフリカ・イスラエル社は、昨年秋、入植地における事業から完全に手を引くと宣言した。その背景には、レヴ・レヴィエヴ・ダイヤモンド社など、広く海外展開していた同グループの事業に対して取り組まれた広範なボイコット運動があった。

軍需産業の民営化においてもそうした脆弱性を垣間見ることができる。90年代に民営化され、2000年にフェダーマン・グループ傘下に収まったエルビット社は、欧米各国に支社をもつ世界でも最大規模の兵器企業であるが、2009年9月、これに対しノルウェー財務省は、同国の年金基金の投資対象からエルビット・システムズ社を、その占領地における活動を理由に外す決定を明らかにした。その後、デンマークスウェーデン、オランダといった「多文化主義」を国是に掲げる国々において、年金基金や銀行、生命保険会社などによるエルビット・システムズ社からの資本引き揚げの決定が続いたのである。

兵器の輸出入や空港でのセキュリティ等において、イスラエル軍と密接な協力関係をもつエルアル航空も、やはり民営化の結果、2005年には、ボロヴィッチ・グループ傘下に入っているが、実は、このグループには、サンリオが2006年にライセンス契約しているLDI社も入っているのである(「ハローキティ・ストア」を経営することとなるのは別企業)。LDI社の親会社であるマパル・コミュニケーション社の共同設立者の二人はエルアル航空の役員でもある。そして、エルアル航空の現CEOは、レバノン侵略戦争を指揮し、戦争犯罪に問われている元イスラエル空軍司令官エリエゼル・シュケディ氏なのである。サンリオのイスラエル参入が占領への加担だということは、単なる抽象論ではない。そこに「バイバイ・キティ・キャンペーン」の意味がある。

イスラエル経済の民営化・寡占化・グローバル化は、多くのイスラエル企業や、イスラエルに進出している多国籍企業に否が応でも占領ビジネスの一端を担わせることとなってしまっており、そのことが国際的なBDSキャンペーンを拡大させる土壌を生んでいる。上述したイスラエル政府のボイコット運動に対する過剰反応はこうした状況への表層的対応だと言える。

「ハローキティ・ストア」イスラエル進出の背景を考える(5)

パレスチナの平和を考える会のニュースレター『ミフターフ』30号(2011年8月発行)に掲載された記事(著者・役重善洋)を転載します。一部、修正・追加をしています。(→連載第1回

イスラエル経済の危機とパレスチナ占領



さらに指摘すべきことは、こうしたイスラエル経済のグローバル化が、資源小国で対外貿易依存度が非常に高いイスラエル経済をますます不安定なものとしているということである。イスラエルの輸出入総額は、対GDP比でいずれも日本の約2.7倍に上る。

リーマン・ショックおよび「ガザ戦争」の影響を大きく受けた2009年度のイスラエルの経済状況を見ると、対外直接投資84%減、対内直接投資65%減、輸出22%減、輸入27%減という危機的状況が見て取れる。こうした数字は、翌年に大きく改善され、良品計画もサンリオも、イスラエルがこの危機をうまく乗り越えたという評価に基づいてイスラエル出店に動いた訳であるが、これは非常に甘い評価だと言わざるを得ない。

イスラエルは、この間の経済危機に対し、法人税の減税などの景気刺激策で対応し、表面上の経済指標を取り繕うことに成功しているが(2010年度の経済成長率は4.6%、前年は0.8%)、それは、パレスチナ人の生活のみならず、イスラエル国内の一般の人びとの生活水準までをも犠牲にした「経済成長」である。何よりも、イスラエル経済の危機は、一時的な要因で説明できるものではなく、占領構造と深く結びついた構造的なものだということをまず理解する必要がある。

オルタナティヴ情報センターのシル・ヘヴェルが詳しく分析しているように、パレスチナの軍事占領は、イスラエル経済に大きな負担となっており(軍事予算はGDP比でアメリカの約1.5倍)、その埋め合わせをしているのが、アメリカからの年間30億ドル以上の軍事援助、兵器貿易(輸出総額の約10%を占める)、軍需産業をベースにしたハイテク産業の活性化、パレスチナ経済の破壊による占領地の独占市場化、広大なパレスチナ人の土地の収奪、パレスチナ人を最下層に置いた階層化された低賃金労働力といった、占領によって得られる利益である。2008-09年のガザ虐殺でさえ、イスラエル軍需産業およびその周辺産業に対する特需によって、一時的にはイスラエル経済に貢献した側面がある。しかし、イスラエル経済全体を見渡したとき、そうした軍事占領に伴う利益がそのコストをカバーしているとは到底言えない。

イスラエルの花形産業として称賛されているハイテク部門に関して言えば、限られた経済エリートによって担われているものであって、決してイスラエル経済の全体を代表するものとはなっていない。2010年度のハイテク産業における平均賃金18,000シェケル(約40万円)に対し、イスラエル労働者の75%は、その3分の1の6,000シェケル(約13万円)以下の賃金しか受け取っていない。政府は、この分野での国際競争力を維持するために、さまざまな優遇措置を取っているが、それは、ネオリベラル政策による格差拡大に輪をかけるものでしかないのである。

軍需産業は、当面イスラエル経済の牽引力となり続けるしかないと考えられるが、それは、まさにパレスチナ人に対する占領・虐殺政策の継続を前提条件とする。イスラエルの兵器輸出は、自らが煽り続けている「対テロ戦争」の継続によって支えられているからである。

しかし、そのことは一方で、隔離壁建設に象徴される、莫大な占領経費の膨張をも意味し、経済のグローバル化に際して重要なイスラエル経済の信用性やイスラエル商品のブランド・イメージに対する決定的なマイナス要因にもなる。もちろん、国際的BDSキャンペーンのさらなる市民社会への浸透をもたらすことにもなる。しかも、防衛予算の2割を支えるアメリカからの軍事援助がこれまで通り継続される見通しはますます不透明になっている。

「ハローキティ・ストア」イスラエル進出の背景を考える(6)

パレスチナの平和を考える会のニュースレター『ミフターフ』30号(2011年8月発行)に掲載された記事(著者・役重善洋)を転載します。一部、修正・追加をしています。(→連載第1回

〜サンリオのイスラエル出店が失敗する可能性のきわめて高い理由


サンリオ幹部が、イスラエルは「経済危機を生き抜いた」と評価した状況の背景には、占領の代価を占領地あるいはイスラエル領内のパレスチナ人に払わせるだけでは間に合わず、イスラエルユダヤ人低〜中所得者層までをも踏み台にするという、ネタニヤフ政権の民族差別と階級差別にもとづく極めて近視眼的な経済政策がある。在日イスラエル大使館が立ち上げている経済部専用のウェブサイトでは、一貫してイスラエル経済の「好況」が伝えてられているが、占領地に関わる言及はもちろん一切ない。日本の経済紙が好んで取り上げるイスラエル経済に関する記事も、やはり同様の論調で、占領地を明確に含んでいるイスラエル経済圏に、パレスチナ人は存在していないかのような記事がほとんどである。

それらの記事が無視しているもう一つの重要なイスラエルの現実は、「中間層の消滅」と言われる事態である。イスラエル経済の最底辺には、被占領地のパレスチナ人が位置づけられ、イスラエル領内においても、下層から上層に向かって、大雑把にみて、イスラエル国籍をもつパレスチナ人や移民労働者、ミズラヒームと呼ばれる東洋系ユダヤ人、そしてヨーロッパ系ユダヤ人(アシュケナジーム)の順で民族的に階層化された社会構造がある。1980年代までは、非ユダヤ人を排除するかたちでユダヤ人市民に対する比較的安定した社会保障政策が取られてきたが、その後のネオリベラル政策は、イスラエル中間層のマジョリティを占めていたヨーロッパ系ユダヤ人においても多くの「脱落者」を生み出し、より少数の特権階級(政府と癒着した財閥や、運の良いベンチャー・ビジネスの成功者)への資本の集中という状況が生じたのである。その結果、1988年に33%だった「中間層」(世帯収入中央値の75%〜125%の世帯が占める割合)は、2010年には25%にまで縮小した。この傾向は、貧困層の増加と確実に結びついている。2008年の政府統計では、「貧困層」(収入中央値の60%以下の人口が占める割合)は、EU平均の16%に対し、イスラエルでは29%にも上る。

オスロ・プロセスは、占領の矛盾を「和平」の名の下で覆い隠すことによって、イスラエル経済の民営化・グローバル化を円滑に進めることを可能にしたといえる。しかし、そのオスロ・プロセスが完全に行き詰まっている現在、状況は大きく異なる。ネタニヤフ首相が唱える「経済的和平」を信じ、支持する階層が、パレスチナ人のなかに存在しないことはもちろんのこと、イスラエル人のなかでもごく少数の特権階級に限られつつある。

そうしたなか、テルアビブ近郊のギヴアタイムという、ヨーロッパ系ユダヤ人が大半を占める町に、「中間層」をターゲットとして出店したと考えられる「ハローキティ・ストア」が商業的に成功する展望は、決して明るいものではない。サンリオは、2001年にも「ハローキティ・ストア」をテルアビブの高級ショッピングモールに出店しているが、わずか数年で事業に失敗している。イェディオット・アハロノット紙の記事では、フランチャイズ契約した現地企業との協力関係の失敗がその原因として述べられているが、実際には、前年から勃発していた第二次インティファーダを原因とするイスラエル経済の失速(2001年と02年はマイナス成長)が実質的な原因であることは明らかである。サンリオが商機だと考えた現在のイスラエルにおいて、自爆攻撃こそなくなったとはいえ、経済的な矛盾は、さらに深刻の度を増しているのである。