「ハローキティ・ストア」イスラエル進出の背景を考える(7)

パレスチナの平和を考える会のニュースレター『ミフターフ』30号(2011年8月発行)に掲載された記事(著者・役重善洋)を転載します。一部、修正・追加をしています。(→連載第1回

オスロ虐殺とイスラエルの関係


多くの場合、ネオリベラリズム政策が、各国社会にもたらす経済的矛盾は、かつての福祉国家政策を支えた社会主義勢力の復権をもたらすのではなく、むしろ排外的ナショナリズムの方向へと転嫁されている。ネオリベラリズムがウルトラ・ナショナリズムと手を組むという現象は、先にも述べた通り、イスラエルに限った話ではない。

7月22日にノルウェーの首都オスロで起きた虐殺事件もそうした流れのなかで捉えることが可能であろう。北欧はその社会民主主義政策で有名であるが、国営企業の部分的民営化など、確実に新自由主義政策を取り込みつつあり、その煽りを受けた低賃金・低熟練労働者のかなりの部分が極右政党の進歩党に流れているという

その進歩党に一時所属しながら、排外主義の程度が生ぬるいとして脱退した人物が、今回の虐殺事件の実行犯であった。反イスラーム主義者でキリスト教シオニストのアンネシュ・ブレイヴィクは、オスロ中心街で爆弾テロを実行し、さらに郊外のウトヤ島で青少年キャンプを行っていた与党労働党の参加者に向って銃を乱射、計76名を殺害した。ブレイヴィクが犯行直前にネット上で公開した1500ページを超える「マニフェスト」では、ヨーロッパにおけるムスリム移民の増加がイスラームの侵略と捉えられ、ノルウェー多文化主義にもとづく移民受け入れ政策が強く批判されていた。そして、そのイスラームの侵略に対して最前線で闘っているのがイスラエルであるとして、強力な排外的ナショナリズムを維持しているシオニズムに対する強い支持が表明されていたのである。

アメリカの宗教右派ネオコンによる書物からの引用に溢れた「マニフェスト」に著されたブレイヴィクの思想は、ヨーロッパ中心主義的な民族排外主義をベースとしつつも、イスラエルアメリカの「対テロ戦争」のターミノロジーを多用したグローバルな「聖戦」イデオロギーであった。

この「聖戦」の具体的対象とされたノルウェー労働党青年運動は、同国の多文化主義政策や、先述した政府年金基金の資本引上げなど、イスラエル占領政策に対する先進的な取組みを主導する役割を果たしていた。虐殺の2日前には、ノルウェー外相が、ウトヤ島のキャンプを訪ね、青年運動の若者達からBDSキャンペーンへの支持を求められた際に「パレスチナ人は自分自身の国家を持つべきであり、占領は終わらせるべきであり、隔離壁は撤去されなければならない。そして、それは今すぐに実現されるべきだ」と宣言していたのである。

アメリカの評論家マックス・ブルーメンタールは、オスロ虐殺を単なる猟奇的事件として見るのは誤りであり、アメリカの反イスラーム主義者が同様の事件を起こさないのは、自国の軍隊が中東でイスラム教徒を虐殺するのを目撃しているので、わざわざ自らの手を汚す必要がないからに過ぎない、と喝破している

さらに、ブルーメンタールは、2010年の中間選挙の際、反イスラーム主義者の共和党員イラリオ・パンターノの選挙戦の中で、2004年にイラクで従軍中であった彼が非武装の民間人二人を猟奇的に殺害していたという告発がされたとき、逆に、そのことが追い風となって、ティーパーティなどの熱心な支持を得たという事例を挙げ、虐殺を支持する人々と実際にそれを実行する人間のメンタリティの同一性を見事に指摘している。

こうしたアメリカにおける、人命を軽視した軍事的反イスラーム主義は、イスラエルが自身の占領政策の「国際的正当性」を確保するための絶好の材料となるため、イスラエルは、様々なチャンネルを通じて「イスラームの脅威」(最近ではイランの脅威)をアメリカ社会・政府に対して煽り続けている。そのことが、イデオロギー的影響にとどまらず、具体的政策にも及んでいることは、ミアシャイマー、ウォルトの『イスラエル・ロビー』などを通じて明らかになりつつある。たとえば、イスラエルは第二次インティファーダに対する弾圧に際し、一般市民の殺害を「付随的損害」Collateral Damageとして正当化し、「テロリスト」と市民の区別を敢えて取らないという原理を採用したが、その論理は、9・11以降、アメリカが展開した「反テロ戦争」においてもそっくりそのまま使われることとなったのである。もしもブレイヴィクが病んでいるのだとすれば、その病の根は、イスラエル軍と米軍、そしてその支持者達(日本は米軍のもっとも気前の良い支援国である)の精神にあると言うべきである。